オロナミンCと私

自分でもよくわからないけどたまにどん底のように病む日がある。

今までこれは忙しさ故の余裕のなさから生まれるものだと思ってたんだけどどうやら違うみたい。

何故なら今の私は自由そのものだから。私の負担になりうる通学、サークル、バイト、友人関係、上下関係は全て無くなった。わたしは本当の自由を手に入れた、はず。

 


どうしたらいいかわからない、やる気が起きない。ただただ活動していた手が急に止まる。やる気スイッチってあながち本当なのね。

 


今の感情は寂しさとはちょっと違う。

どっちかっていうとほっといて欲しい。

 


電話をかけてくる友人らに応えることが出来ない。ごめん。家から一歩も出ず、誰とも会っていないのに、今は一人で居たいの。

 


結局私は友達にも気を遣っているんだな。友達とコミュニケーションをとるために、普段より1段階自分を上げないといけない。休日は極力交流を避けてしまう、疲れるから。

自分の中で一番つまんなくて、取っ付きにくくて、性格が悪い状態を他人には見せたくない。

 


でも、いつか、誰かにわかって欲しい。私は私を理解してくれる人が欲しい。

ちょっと矛盾?

結局人間は孤独。彼氏だから、友人だから、全てを察して感じ取ってくれるとは限らない、てか無理。

わたしたちは自分から、

「わたしは今こう思ってます」

って言わなきゃ伝わんない。

 


伝えるのが下手くそな私はこのぽっかり穴の埋め方がわからない。だからたまにこうして夜な夜な1人で泣く。

 


なんだか喉が乾いて、お風呂上がり一人で自販機に買いに行った。

私が選んだのは「元気ハツラツ オロナミンC

 


笑えない。

 


この飲み物はきっと本当に元気が無い人が飲むものじゃない。

 


オロナミンC、昔はよく母が薬局でダース買いしてくれてたな。

飲んだのは5年以上ぶりだった。もう味なんて覚えてなくて、こんな味だからって勝手に敬遠してたけど。

こんな状態だったのもあってか、沁みるような甘さが美味しかった。飲むと元気が出るのは、嘘じゃなかった。

 


病んだらまたこれでも飲もうかな。用途違うけど。

脱ネタンデルタール人

どうも、またまたパソコンでこんにちは稲村です。

 

今日中学の地元の友達とふたりでお茶をしました。

少ししか日が空いてないのに久しぶりに会った気がしてしまう現象、いつ会っても大体中学時代の話に戻る現象、なんなんでしょうね。

 

いつまでもきっとこんな関係なんだろうなって思うし、こんな関係でいたいなって思う。これから先就職や結婚、いろんなことがあるけれど。

 

私にとって地元の友達はそういう存在です。最近会えてなくてちょっと寂しいけど。

 

 

この前病んだ日があって(二週間に一度はある)中学の近くまで愛犬と散歩したんですけど、なんかよく晴れた秋空で、眺める校庭の景色はこみあげてくるものがありました。

 

 

冷静に考えたら病み過ぎててキモいし、自己陶酔してるのもキモいんですけどね。

 

でも私の場合何年経っても思い出してしみじみするのは小学校でも、高校でもなく、中学だなって思う。

 

それはきっと私の中で青春してたなって思うのが中学だからなんだろうな。

世間一般的には高校最高って感じなんだろうけどね。

 

前にも書いたけど、高校時代は自分で自分を勝手に生きづらくさせてたな、って思います。

 

今考えたらもっと自分を好きになれてたらなって思うし、男子とも話せばいいのにとも思うし。バイトも他を探して続ければよかったと思うし、メイクもファッションも、制服も楽しめばよかったなって思う。後悔まみれ、笑

 

さっき友達が弾き語りのインスタライブをしてたんだけど、

正直なところ、前の私ならぜったい見なかったと思う。笑

 

それはきっと実力を認めたくなかったから。私だって歌えるのに、もっと評価されたいのに。

 

高校の時の私は、自分の歌に自信を持てなかった。周りはそんなに褒めてくれなかったし、評価してくれなかったから。

 

でも、今はそういう風には考えなくなった。

一位を決められないのが歌声のいい所。

 

金子みすゞじゃないけど、そのまんま、ほんと、みんな違ってみんないい。それが歌。

 

私はいま自分の歌声に自信をもって歌ってます。

これは自慢とか自惚れじゃなくて!

 

アカペラを始めてから、あなたの声が好き、って言ってもらえることが今まで以上に増えた。それがとっても嬉しいし、原動力になってるなって思います。

 

わたしはヘンなところで負けず嫌いだからサークル内でも闘志むき出しなんだけどね

 

自分の歌を好きと思える今がとても幸せ。

自分の一部を肯定出来ることがどれだけ幸せなことか。

 

 

 

 

 

 今日の日記にちょうどいい歌が。

 

他人を妬むそんな不毛な時間もったいないから自分を好きになる努力をしよう。

これは自分に言ってます。

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バイトで使えない私の話

こんにちは、そしてお久しぶりです、稲村です。

昨日友人にブログ書いてよ~と言われて嬉しくなっちゃったので書きます、

私単純なんでね!

 

今日の私は一味違いますよ、なんせパソコンでこの文章を打っていますからね!

形から入るの大好きガールなので、ブログは、コーヒーを飲みながらパソコンで書きます。そっちのが面白い文章書けるもん、絶対。

 

いやしかし、書くのは楽しいですね~。ペンは全然走らないけど!自己陶酔するにはカフェインが足りてないんでしょうか。

 

そうそう、今日の話題はバイトについて。

 

このブログを読むことができる数少ない心許せる友人たちならご存じの通り、

私全然使えません。

知らなかった人はがっかりしましたか?しないですか、そうですか。

 

私視野が肉食動物より狭いんですよね、もはや一点しか見えていません。

わかりづらい例えで全然伝わってない方たちは、眼鏡を頭に乗せながら探しちゃうあの昭和のノリを想像していただきたい。

 

つまりどういうことが起きるかというと、いっぺんに2つ以上のことができない。クソ使えないわけです。

 

でも、やっぱり人間何事も経験、継続が大事なわけで。

銚子丸でバイトしてた高校時代(週一勤務)と比べたら、それなりに店の戦力にはなれてるのかな。なんて思っていたのですが

 

今日はひどかったな、、、、

 

特に大きなミスをしたわけでもなく、ただただ全体的に作業スピードが遅かったってだけなんですけどね。

 

使えないことを自覚してる人って、人一倍周りの目が気になっちゃうもんなんですよ。

いま先輩自分に対してイライラしてんなぁ、あの二人、小声で私が使えないって話でもしてるんだろうなぁ。

 

視野は狭いくせに、どうでもいいことはよく見えるもの。

 

私みたいに仕事ができない人間がいれば、仕事も人付き合いも器用にこなす人もいて。

 

仕事って、陰でどれだけ頑張ってたか、なんて全然関係なくて、

功績しか見てもらえない。結果がすべて。

 

頭ではわかってるんだけど、出来ない私にはどうしても理不尽に感じてしまう。

 

努力するほど評価されるのは学生時代までで、働き者のアリや、コツコツ頑張るカメ、頑張った者が必ず報われるようなおとぎ話は通用しない。

 

うーん、難しい。これから社会に出て、努力じゃ乗り越えられない壁にたくさんぶち当たる機会が増えていくのかと思うとゾッとする、一生家にいたい。

 

 

先日バイト先の先輩から就活が終わった話を聞いて、そこまで遠い未来じゃないのか、就職。もうすぐなのか、就職。と思った。

 

 

使えないゴミ人間なりに、これからの戦略を立てていかなねばならぬ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

単発バイトから学ぶ恋愛心理学

 

こんにちは、稲村です。

GW始まりましたね、平成最後、奇跡の10連休。

そんなGW1日目にして貯金残高1万を切った私は単発バイトをしてきました。

大学の特別講義みたいなタイトルですが、中身は大したことありません。

まあ、今日はバイト中に考えたくだらない私の恋愛心理学でも聞いてヒマな時間を潰していただけたらな、と。

 

 

今日は、事務所移転作業のバイトだったんです。で、こういう職場の場合、大抵2、30人くらいは人がいる感じなんですけど、

まず待ち合わせの時点でバイトリーダーと二人っきり。Oh.....

これが20行ってるか、行ってないかの爽やか好青年とかだったらいいんですけど、まあ行ってましたよねサーティー。(完全に外見からの推測)

 

二人で目的地までてくてく歩きながら、やたらとバイトリーダーのおじさん(?)が話しかけてくるんですよ。もう、ただただ恐怖。

 

あっちは、めちゃめちゃ警戒してる私の緊張をほぐそうとしてくれてるだけなんですけどね。

私、恋愛経験全然ないくせに、やたらとガードが固いんですよね。

だから、こんなに自分に話しかけてくるし、おじさんだし、この後ストーカーとかされるかもどうしよう。って。失礼極まりないです。

 

そして作業が始まって、数えきれない荷物を開封し、数えきれないダンボールを解体していたんですが、おじさん(仮名を小林さんとする)作業中もやたらと優しいんですよ。

優しいっていうのは、ジェントルマン的な。

「稲村さん、これは重いから俺が運ぶね!」

「無理しなくて大丈夫だからね!」

「こっちの作業は大変だから俺と変わろっか!」

 

えっ.......優しい、えっ.......怖くない、

 

最終的には帰りのエレベーター2人で談笑して帰りましたからね。

 

結局、小林さんは悪いおじさんでも、ロリコンでもなく、千駄ヶ谷方面に歩いて帰って行きましたとさ。

 

 

そこで、私は学びました。これは恋においても同じなんじゃないか、と。

 

最初は人間だれでも警戒するもんなんです。得体の知れない異性がいきなり話しかけてきたらそりゃ誰だってそうなります。私だけじゃありません。

そして、会話というプロセスを通して相手の緊張をほぐしていく。

いきなり私的な質問をしない。できれば最初はあたりさわりのない話をする。

一緒になにかしながら、相手の優しさや笑顔に触れる。

 

こうやってちゃんとプロセスを踏んで、やっと人の警戒は解かれるんです。

 

それなのに私といったら、いつも結果を急いで、プロセスを踏まずに告白する→案の定、振るわない結果に。

そんな事をいつも繰り返していたんですね。改めて自分のバービー加減に引いてしまいます。

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私は今まで付き合うどころか、人の警戒を解く、「会話」という大事なプロセスを怠っていました。

だから!!今度こそは!!バービーから脱皮して、ちゃんと好きな人と話して、仲良くなって、そして付き合わなければいけません。

 

5月から、私は男子だらけの部活にマネージャーとして入部します。

 

先輩だいすき!っていう下心丸出しの私の入部を周りからはとても心配されています。

 

もれなく男子との話し方を忘れてしまって完全にシャイガールな私ですが、この恋に向かって日々精進して参りたいと思います。

 

いつか私のハジメちゃんを隅田川花火大会に連れていきたいと思っております。

 

ご精読ありがとうございました。

HAVE A ナイス10連休!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

深夜のひとりごと(延長戦)

大分ご無沙汰しちゃいました、稲村です。

無事高校も卒業してようやく本当の自由を手に入れた今日この頃の俺だ〜!!

 

卒業の実感が湧いていないどころの騒ぎではなく、悲しいことにまったく卒業が惜しくない。

JKブランドも特に惜しくない。強いて言うなら映画1000円で観れなくなるのやだな〜。

 

それでも卒業式は泣いてしまったんだけど、その事について弁解させて欲しい。

 

卒業式独特のムードあるじゃないですか。

「校歌歌うのも今日が最後なんだ、、、」

「最後のホームルーム、、、」

自分の中で勝手に「最後の○○」ゲームがプレーボールしちゃうわけです。なんか球技ってことになっちゃったけど。

だから私はまっっっっっったく卒業悲しくありませんでした。

もうひとつの理由は、自分が18年生きた事に感動したから。自分の中で、「やっぱりまだ自分は子供」って意識が強くて、例えば2012年なんて最近じゃーんって思うんですよね。でもそれはもう7年も前の話になるし、自分の人生と共に歩んできた平成ももう終わるんだと。

自分、未熟ながらも頑張って18年生きてきたんだなぁとしみじみ思うんです。

 

高校3年間は自分に自信が持てない3年間でした。

外見とか体裁とかばかり気にしちゃって、今までの自分は怖いもの知らずだったんだなって思った。周りにどう見られているか?それだけを考えて生きてた、だから行き詰まってしまった。

そういう考えを持つこと自体は勿論この先の人生において大事に決まってるんだけど、やりすぎは良くない。

もっと肩の荷を抜いて、フランクに生きれば楽しかったのかもしれないなって。

 

そんな三年間でした。

 

自分の容姿が良くなれば·····コミュ障が治れば·····いつか自分は楽しく生きれる!ってただひたすら信じてた気がする。

現状の自分には絶対満足できなくて、現状の自分が人生をエンジョイするのは到底不可能だと思ってた。

でもそれは逃げであって、だから、わたしは自分と向き合わなきゃいけない。

そして、いつか自分を好きになれたらいいなって思います。

 

しゃんと胸張ってがんばらんと!

 

なんか久々すぎて文章まとまんなかった。

 

 

 

一本締め

お久しぶりです、稲村です。

早いもので今年も今日で終わってしまうんですね。

一年が過ぎ去るスピードの速さに自分でも驚いています。年々こうなっていくのでしょうか?

去年は、「長いようで短い一年だったなぁ」なんて言ってましたが、

今年は明らかに短かった。実際の総時間的にも短かったんじゃない?

今年絶対いつもより日が短かったですよね?私からしてみたら毎日が冬至みたいな感じでした。

 

今年の重大トピックといえばまあ、受験です。

ひと月、ひと月を思い返してみると、、、暗くて長いトンネルだったよなぁ。あれ?

 

昨日、塾が今年度最後の授業でした。

つまりこうやって授業で顔合わせるって機会はもう最後だったんですね。

それで、古文の先生から最後の挨拶があって。

村上春樹の「海辺のカフカ」の一節を朗読してくれました。

 

 

「ある場合には運命というのは、絶えまなく進行方向を変える局地的な砂嵐に似ている」とカラスと呼ばれる少年は僕に語りかける。


 ある場合には運命っていうのは、絶えまなく進行方向を変える局地的な砂嵐に似ている。君はそれを避けようと足どりを変える。そうすると、嵐も君にあわせるように足どりを変える。君はもう一度足どりを変える。すると嵐もまた同じように足どりを変える。何度でも何度でも、まるで夜明け前に死神と踊る不吉なダンスみたいに、それが繰りかえされる。なぜかといえば、その嵐はどこか遠くからやってきた無関係な“なにか”じゃないからだ。そいつはつまり、君自身のことなんだ。君の中にあるなにかなんだ。だから君にできることといえば、あきらめてその嵐の中にまっすぐ足を踏み入れ、砂が入らないように目と耳をしっかりふさぎ、一歩一歩とおり抜けていくことだけだ。そこにはおそらく太陽もなく、月もなく、方向もなく、ある場合にはまっとうな時間さえない。そこには骨をくだいたような白く細かい砂が空高く舞っているだけだ。そういう砂嵐を想像するんだ。

 

 

先生は言いました、

あなたたちは今この砂嵐の中にいる。

あなたたちがどんなに逃げても、砂嵐はあなたたちを追いかける。

あなたたちができることは砂嵐から逃げることではなく、砂嵐が通り過ぎるのをじっと耐えて待つことだ。

あなたたちは、砂嵐の中で傷つくだろう。

でも、砂嵐が通り過ぎてもあなたは何も気づかないかもしれない。感じないかもしれない。

でも、結果がどうであろうと、これだけは自信を持って言える。

砂嵐が通る前と後とで、あなたたちは確実に変わっている。と

 

最後の授業なのもあいまって、少し泣いてしまいました。

この一年は、時間の長い短いでは表現できないような苦しい一年でした。

数えきれないくらい泣いたし、数えきれないくらい学校を休んだ。

二年間真面目に勉強してこなかった自分に腹が立ったし、推薦や専門の子たちを羨んだりもした。

何回も受験をやめようと思った。

今、交通事故に遭って、入院したら、受験しないで済むかな。なんて考えたりもした。

けど、今はやめたいなんて思いません。

私は砂嵐に立ち向かいたい。

 

やっとそう思えるようになりました。

これはきっと私に、私たちにとって、素晴らしい糧になると思います。

受験に勝ち負けはありません。

頑張った人はみんな勝者です。

だから私は馬鹿にしたりしない。

 

がんばろう2019!

よーお!ポン!

 

 

 

 

 

秋風邪、目にはさやかにみえねども

風邪が治りません。

 

もう一度言います。

風邪が治らないのです。

 

10月入ってからかれこれずっと風邪をひいてます。この風邪はただ単に季節の流行り的なものなのか、それともメンタリティの弱さからきてるものなのか、原因不明。

 

今は咳も風邪終わりかけの感じになってきたんだけど(ゴホンゴホンってやつ)、頭痛いし薬の飲みすぎで胃が荒れて四六時中気持ち悪いし、メンタルもボロボロ。午後になるといつも熱出るしもおおおううう、、、

 

勉強したい、いやしたくはないんだけどしている状態に戻って安心したい。でも具合悪くて午後に勉強することが出来ない。負のサイクル。

 

私このまま受験勉強が中途半端なままセンター当日を迎えるんじゃなかろうか?考えるだけで気が重いし更に具合が悪くなる。誰に相談すればいいのかわからない。友達はみんな私より出来がいい人や進路が決まった人ばかりだ。

親に言ったら「そんなに辛いなら受験やめればいいじゃん」

ちがう。そうじゃない。私が求めてる答えはそれじゃない。大学に行くことが全てじゃないことくらいわかってる。頭ではわかってるはずなのに私は焦る。なんでだろう。みんなと違うのが、自分だけ置いてけぼりにされてるような気がして怖いのだろうか。

 

友達は優しい。親も優しい。みんな優しい。あとは私のメンタルだけ。これは私の気持ちの問題。なんて弱い人間なんだろう。すぐ学校休むし。すぐ具合悪くなるし。バイトだって、塾だって、今までそうやってサボってきた。私は弱い。これって治りますか?どうやったら治りますか。弱いくせに見栄っ張りな自分が嫌だ、こんなに苦しめられるなら進学校なんて行かなきゃよかった。もう疲れた。色々ちっちゃいこと考えすぎてもう一杯一杯。何も考えず寝たい。