一本締め

お久しぶりです、稲村です。

早いもので今年も今日で終わってしまうんですね。

一年が過ぎ去るスピードの速さに自分でも驚いています。年々こうなっていくのでしょうか?

去年は、「長いようで短い一年だったなぁ」なんて言ってましたが、

今年は明らかに短かった。実際の総時間的にも短かったんじゃない?

今年絶対いつもより日が短かったですよね?私からしてみたら毎日が冬至みたいな感じでした。

 

今年の重大トピックといえばまあ、受験です。

ひと月、ひと月を思い返してみると、、、暗くて長いトンネルだったよなぁ。あれ?

 

昨日、塾が今年度最後の授業でした。

つまりこうやって授業で顔合わせるって機会はもう最後だったんですね。

それで、古文の先生から最後の挨拶があって。

村上春樹の「海辺のカフカ」の一節を朗読してくれました。

 

 

「ある場合には運命というのは、絶えまなく進行方向を変える局地的な砂嵐に似ている」とカラスと呼ばれる少年は僕に語りかける。


 ある場合には運命っていうのは、絶えまなく進行方向を変える局地的な砂嵐に似ている。君はそれを避けようと足どりを変える。そうすると、嵐も君にあわせるように足どりを変える。君はもう一度足どりを変える。すると嵐もまた同じように足どりを変える。何度でも何度でも、まるで夜明け前に死神と踊る不吉なダンスみたいに、それが繰りかえされる。なぜかといえば、その嵐はどこか遠くからやってきた無関係な“なにか”じゃないからだ。そいつはつまり、君自身のことなんだ。君の中にあるなにかなんだ。だから君にできることといえば、あきらめてその嵐の中にまっすぐ足を踏み入れ、砂が入らないように目と耳をしっかりふさぎ、一歩一歩とおり抜けていくことだけだ。そこにはおそらく太陽もなく、月もなく、方向もなく、ある場合にはまっとうな時間さえない。そこには骨をくだいたような白く細かい砂が空高く舞っているだけだ。そういう砂嵐を想像するんだ。

 

 

先生は言いました、

あなたたちは今この砂嵐の中にいる。

あなたたちがどんなに逃げても、砂嵐はあなたたちを追いかける。

あなたたちができることは砂嵐から逃げることではなく、砂嵐が通り過ぎるのをじっと耐えて待つことだ。

あなたたちは、砂嵐の中で傷つくだろう。

でも、砂嵐が通り過ぎてもあなたは何も気づかないかもしれない。感じないかもしれない。

でも、結果がどうであろうと、これだけは自信を持って言える。

砂嵐が通る前と後とで、あなたたちは確実に変わっている。と

 

最後の授業なのもあいまって、少し泣いてしまいました。

この一年は、時間の長い短いでは表現できないような苦しい一年でした。

数えきれないくらい泣いたし、数えきれないくらい学校を休んだ。

二年間真面目に勉強してこなかった自分に腹が立ったし、推薦や専門の子たちを羨んだりもした。

何回も受験をやめようと思った。

今、交通事故に遭って、入院したら、受験しないで済むかな。なんて考えたりもした。

けど、今はやめたいなんて思いません。

私は砂嵐に立ち向かいたい。

 

やっとそう思えるようになりました。

これはきっと私に、私たちにとって、素晴らしい糧になると思います。

受験に勝ち負けはありません。

頑張った人はみんな勝者です。

だから私は馬鹿にしたりしない。

 

がんばろう2019!

よーお!ポン!