明け方の若者たち

こんにちは、ブログを書く周期がオリンピックさながらの稲村です。

 

皆さんところで《明け方の若者たち》という本を知っていますでしょうか?知らない貴方、さては最近YouTubeやネトフリばかりでTVを観ていないな?

 

私自身もっぱらテレビは後からTVerで観てしまうタイプの人間なのですが、たまたま観ていた王様のブランチで最近話題の小説ランキング〜みたいなのをたまたまやってて、たまたま目に入って。

読書習慣が無い者にとってはそれはそれはありがたい企画でした。ありがとうブランチ、ありがとうTBS。

テレビって基本的に常時点いてるものじゃないですか(家庭によるかもしれないけど)

だからわざわざ自発的に情報を探しに行かなくて済むのが利点だなって思います。YouTubeやインターネットで情報を獲得するためには検索ワードが必要ですよね。これってつまり自分のわからない事に対して、まず手掛かりになる言葉を考える必要がある。

億劫な私にとってはこの作業が苦痛でして、、

痒い所に手が届かないような気持ちに陥るんです。だからちょっと苦手。

ラジオやテレビ、Twitterとかみたいに垂れ流された情報から自分にとって興味があるものにフォーカスしていくってやり方が私的にはしっくり来るんですよねぇ、、、

 

バカ真面目にメディア論について語ってしまいました、失敬失敬。こんな事熱く語っても単位取れる訳じゃないのにね。

 

本題。なんで今日この本についてブログで書こうと思ったかというと、

「ああ、社会って、仕事ってこんなもんなのか」

学生の社会に対する不安を見事に体現した本なの!

 

まあテレビでは切ない恋愛模様にフォーカスして宣伝されてたんだけど、

実際読んだ感想としてはこっちが強かった。

 

(ちょっとだけネタバレ入るかも)

主人公は二番手くらいの大学に入って、大手の内定先も決まって、順風満帆。でもいざ入社したらやりたい事ができるような環境ではなくて、

「自分はこんなところで燻っていられない、

早く転職したい、動き出さないと。」

っていう思いが徐々に芽生えてくるんだけど、

働いているうちに自分が大したことない人間だったって気付く。周りとは違う、普通じゃないって思ってたのに、初めて打ちのめされてしまう。

 

共感しか無いんだよなぁ。。

私もそうだけど、皆絶対心のどこかで「自分と他の人は違う」って思ってる。

私には独創性があって、やりたい事もちゃんとある。だから他の能天気チャラチャラ大学生と一緒にすんな!

きっと誰しもがこう考えてるんだろうな。だからみんな早々とインターンシップに行くわけで。

それが打ち砕かれるのが社会人。結局他の人と自分はなんら変わらなかったって気付く。恐怖体験。

 

少し話は変わるんだけど、バイトでも常々似たようなことを考える。

自分はこのバイトに何パーセントの力を注ぐのが正解なんだろう?って。

60%注ごうが、100%注ごうが貰えるお給料は一緒。じゃあ自分は何パーセント出そうか?

100パー出せば社員やお客さんに褒められることは明確。でも時給が同じなのに100パーを出す必要なんてない。だから私はいつも及第点で業務をこなす。

心のどこかで「俺はまだ本気出してないだけ」って思ってる。本気を出せば優秀になれると。

 

これはバイトだから割り切れるけど、社会に出たら果たして今まで及第点でやってきた人間がいきなり100パーを出せるのか?

てか出世欲が無ければ100出せ精神すら無いのかも。

 

社会に出るって色々と考えさせられますよね。中学生の頃みたいに、社会に出る環境に居なかった時が一番ラクだったなぁ。

 

なんかまとまらないけど、色々と考えさせられる本なので是非読んでみて欲しいです!なんなら私の貸す!

 

 

 

 

 

 

 

誕生日ありがとうございました

皆さんこんにちは、というよりこんばんは。

 

6/14は私の誕生日!もう終わった?そんな事はいいのです、なんと言っても記念すべきハタチですからね。

 

まあ正直当人からしてみればこの一日差はまったく違う。6/13も6/15も私にとってはただの一日。誕生日当日に対する当人の固執ってなんなんでしょうね。

他人からしてみても、言ってしまえば親からしてみても、私の誕生日はただの一日に過ぎない。

 

今年はそれを強く実感する誕生日だったな。。。

 

これは私の勝手な意見なのですが、誕生日って自分がこの一年間何をしてきたか、結果発表の日だと思うんです。ああ、本当に勝手な意見。。

 

でも問われるのは祝われた量じゃなくて、メッセージにどれだけ気持ちを込めてもらえたか。

量より質なんじゃないでしょうか?言い方悪いかもしれないけど。

 

欲しいものを貰うことよりも、私の誕生日のために文章を考えてくれたり、写真を探してくれたり、プレゼントを探してくれたり。私のためにわざわざ割いてくれた時間にこそ価値があると私は思うんです。

 

激重彼女か、、、?

 

今年の誕生日は自粛期間なのもあいまって変に孤独を感じた一日でした。

地球は私中心に回っている訳じゃないのに。

他の人にとっては、ただの、雨が降ってジメジメした、気温18度の日曜日。

 

それは当たり前の事なのに、私はどうも寂しく感じてしまう。

誕生日はケーキと一緒に盛大に!っていう考えが私たちには酷くこびり付いてて。

だから、きっと何歳の誕生日も、誰かに祝われることを期待してしまうんだと思います。

実は、この日記を書いている今、変に抱いてた期待から解放されてスッキリしてたり。

 

小学生の頃は家族とケーキを食べて、誕生日プレゼントに死ぬほど喜んでいたのになぁ。

 

歳をとるっていうのはこういう事なのかな。

 

20歳って小学生の頃の私からしてみればとても遠く眩しく感じていたのに、実際はこんなもんなのね。

 

20歳は案外子供で、心の成長は中学2年生から大して進んでないよ。まだ準備なんて出来てない。

 

なんとなくお酒を飲み始めるようになって、なんとなく就活が始まって、働いて、気がついたら今度は30歳になってるかも。

 

その時には何人の人が私に「おめでとう!」って言ってくれるんだろう。

昨日私の誕生日を祝ってくれた友達から、来年も再来年も、「おめでとう、ありがとう」の言葉が貰えるように、今日からの一年間また頑張らないと。

 

では、一期一会より一言。

 

「むずかしいコトは言えないケド、

これからもずっと一緒にいて欲しいって

それだけなんだよ」

 

なつを。

 

オロナミンCと私

自分でもよくわからないけどたまにどん底のように病む日がある。

今までこれは忙しさ故の余裕のなさから生まれるものだと思ってたんだけどどうやら違うみたい。

何故なら今の私は自由そのものだから。私の負担になりうる通学、サークル、バイト、友人関係、上下関係は全て無くなった。わたしは本当の自由を手に入れた、はず。

 


どうしたらいいかわからない、やる気が起きない。ただただ活動していた手が急に止まる。やる気スイッチってあながち本当なのね。

 


今の感情は寂しさとはちょっと違う。

どっちかっていうとほっといて欲しい。

 


電話をかけてくる友人らに応えることが出来ない。ごめん。家から一歩も出ず、誰とも会っていないのに、今は一人で居たいの。

 


結局私は友達にも気を遣っているんだな。友達とコミュニケーションをとるために、普段より1段階自分を上げないといけない。休日は極力交流を避けてしまう、疲れるから。

自分の中で一番つまんなくて、取っ付きにくくて、性格が悪い状態を他人には見せたくない。

 


でも、いつか、誰かにわかって欲しい。私は私を理解してくれる人が欲しい。

ちょっと矛盾?

結局人間は孤独。彼氏だから、友人だから、全てを察して感じ取ってくれるとは限らない、てか無理。

わたしたちは自分から、

「わたしは今こう思ってます」

って言わなきゃ伝わんない。

 


伝えるのが下手くそな私はこのぽっかり穴の埋め方がわからない。だからたまにこうして夜な夜な1人で泣く。

 


なんだか喉が乾いて、お風呂上がり一人で自販機に買いに行った。

私が選んだのは「元気ハツラツ オロナミンC

 


笑えない。

 


この飲み物はきっと本当に元気が無い人が飲むものじゃない。

 


オロナミンC、昔はよく母が薬局でダース買いしてくれてたな。

飲んだのは5年以上ぶりだった。もう味なんて覚えてなくて、こんな味だからって勝手に敬遠してたけど。

こんな状態だったのもあってか、沁みるような甘さが美味しかった。飲むと元気が出るのは、嘘じゃなかった。

 


病んだらまたこれでも飲もうかな。用途違うけど。

脱ネタンデルタール人

どうも、またまたパソコンでこんにちは稲村です。

 

今日中学の地元の友達とふたりでお茶をしました。

少ししか日が空いてないのに久しぶりに会った気がしてしまう現象、いつ会っても大体中学時代の話に戻る現象、なんなんでしょうね。

 

いつまでもきっとこんな関係なんだろうなって思うし、こんな関係でいたいなって思う。これから先就職や結婚、いろんなことがあるけれど。

 

私にとって地元の友達はそういう存在です。最近会えてなくてちょっと寂しいけど。

 

 

この前病んだ日があって(二週間に一度はある)中学の近くまで愛犬と散歩したんですけど、なんかよく晴れた秋空で、眺める校庭の景色はこみあげてくるものがありました。

 

 

冷静に考えたら病み過ぎててキモいし、自己陶酔してるのもキモいんですけどね。

 

でも私の場合何年経っても思い出してしみじみするのは小学校でも、高校でもなく、中学だなって思う。

 

それはきっと私の中で青春してたなって思うのが中学だからなんだろうな。

世間一般的には高校最高って感じなんだろうけどね。

 

前にも書いたけど、高校時代は自分で自分を勝手に生きづらくさせてたな、って思います。

 

今考えたらもっと自分を好きになれてたらなって思うし、男子とも話せばいいのにとも思うし。バイトも他を探して続ければよかったと思うし、メイクもファッションも、制服も楽しめばよかったなって思う。後悔まみれ、笑

 

さっき友達が弾き語りのインスタライブをしてたんだけど、

正直なところ、前の私ならぜったい見なかったと思う。笑

 

それはきっと実力を認めたくなかったから。私だって歌えるのに、もっと評価されたいのに。

 

高校の時の私は、自分の歌に自信を持てなかった。周りはそんなに褒めてくれなかったし、評価してくれなかったから。

 

でも、今はそういう風には考えなくなった。

一位を決められないのが歌声のいい所。

 

金子みすゞじゃないけど、そのまんま、ほんと、みんな違ってみんないい。それが歌。

 

私はいま自分の歌声に自信をもって歌ってます。

これは自慢とか自惚れじゃなくて!

 

アカペラを始めてから、あなたの声が好き、って言ってもらえることが今まで以上に増えた。それがとっても嬉しいし、原動力になってるなって思います。

 

わたしはヘンなところで負けず嫌いだからサークル内でも闘志むき出しなんだけどね

 

自分の歌を好きと思える今がとても幸せ。

自分の一部を肯定出来ることがどれだけ幸せなことか。

 

 

 

 

 

 今日の日記にちょうどいい歌が。

 

他人を妬むそんな不毛な時間もったいないから自分を好きになる努力をしよう。

これは自分に言ってます。

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バイトで使えない私の話

こんにちは、そしてお久しぶりです、稲村です。

昨日友人にブログ書いてよ~と言われて嬉しくなっちゃったので書きます、

私単純なんでね!

 

今日の私は一味違いますよ、なんせパソコンでこの文章を打っていますからね!

形から入るの大好きガールなので、ブログは、コーヒーを飲みながらパソコンで書きます。そっちのが面白い文章書けるもん、絶対。

 

いやしかし、書くのは楽しいですね~。ペンは全然走らないけど!自己陶酔するにはカフェインが足りてないんでしょうか。

 

そうそう、今日の話題はバイトについて。

 

このブログを読むことができる数少ない心許せる友人たちならご存じの通り、

私全然使えません。

知らなかった人はがっかりしましたか?しないですか、そうですか。

 

私視野が肉食動物より狭いんですよね、もはや一点しか見えていません。

わかりづらい例えで全然伝わってない方たちは、眼鏡を頭に乗せながら探しちゃうあの昭和のノリを想像していただきたい。

 

つまりどういうことが起きるかというと、いっぺんに2つ以上のことができない。クソ使えないわけです。

 

でも、やっぱり人間何事も経験、継続が大事なわけで。

銚子丸でバイトしてた高校時代(週一勤務)と比べたら、それなりに店の戦力にはなれてるのかな。なんて思っていたのですが

 

今日はひどかったな、、、、

 

特に大きなミスをしたわけでもなく、ただただ全体的に作業スピードが遅かったってだけなんですけどね。

 

使えないことを自覚してる人って、人一倍周りの目が気になっちゃうもんなんですよ。

いま先輩自分に対してイライラしてんなぁ、あの二人、小声で私が使えないって話でもしてるんだろうなぁ。

 

視野は狭いくせに、どうでもいいことはよく見えるもの。

 

私みたいに仕事ができない人間がいれば、仕事も人付き合いも器用にこなす人もいて。

 

仕事って、陰でどれだけ頑張ってたか、なんて全然関係なくて、

功績しか見てもらえない。結果がすべて。

 

頭ではわかってるんだけど、出来ない私にはどうしても理不尽に感じてしまう。

 

努力するほど評価されるのは学生時代までで、働き者のアリや、コツコツ頑張るカメ、頑張った者が必ず報われるようなおとぎ話は通用しない。

 

うーん、難しい。これから社会に出て、努力じゃ乗り越えられない壁にたくさんぶち当たる機会が増えていくのかと思うとゾッとする、一生家にいたい。

 

 

先日バイト先の先輩から就活が終わった話を聞いて、そこまで遠い未来じゃないのか、就職。もうすぐなのか、就職。と思った。

 

 

使えないゴミ人間なりに、これからの戦略を立てていかなねばならぬ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

単発バイトから学ぶ恋愛心理学

 

こんにちは、稲村です。

GW始まりましたね、平成最後、奇跡の10連休。

そんなGW1日目にして貯金残高1万を切った私は単発バイトをしてきました。

大学の特別講義みたいなタイトルですが、中身は大したことありません。

まあ、今日はバイト中に考えたくだらない私の恋愛心理学でも聞いてヒマな時間を潰していただけたらな、と。

 

 

今日は、事務所移転作業のバイトだったんです。で、こういう職場の場合、大抵2、30人くらいは人がいる感じなんですけど、

まず待ち合わせの時点でバイトリーダーと二人っきり。Oh.....

これが20行ってるか、行ってないかの爽やか好青年とかだったらいいんですけど、まあ行ってましたよねサーティー。(完全に外見からの推測)

 

二人で目的地までてくてく歩きながら、やたらとバイトリーダーのおじさん(?)が話しかけてくるんですよ。もう、ただただ恐怖。

 

あっちは、めちゃめちゃ警戒してる私の緊張をほぐそうとしてくれてるだけなんですけどね。

私、恋愛経験全然ないくせに、やたらとガードが固いんですよね。

だから、こんなに自分に話しかけてくるし、おじさんだし、この後ストーカーとかされるかもどうしよう。って。失礼極まりないです。

 

そして作業が始まって、数えきれない荷物を開封し、数えきれないダンボールを解体していたんですが、おじさん(仮名を小林さんとする)作業中もやたらと優しいんですよ。

優しいっていうのは、ジェントルマン的な。

「稲村さん、これは重いから俺が運ぶね!」

「無理しなくて大丈夫だからね!」

「こっちの作業は大変だから俺と変わろっか!」

 

えっ.......優しい、えっ.......怖くない、

 

最終的には帰りのエレベーター2人で談笑して帰りましたからね。

 

結局、小林さんは悪いおじさんでも、ロリコンでもなく、千駄ヶ谷方面に歩いて帰って行きましたとさ。

 

 

そこで、私は学びました。これは恋においても同じなんじゃないか、と。

 

最初は人間だれでも警戒するもんなんです。得体の知れない異性がいきなり話しかけてきたらそりゃ誰だってそうなります。私だけじゃありません。

そして、会話というプロセスを通して相手の緊張をほぐしていく。

いきなり私的な質問をしない。できれば最初はあたりさわりのない話をする。

一緒になにかしながら、相手の優しさや笑顔に触れる。

 

こうやってちゃんとプロセスを踏んで、やっと人の警戒は解かれるんです。

 

それなのに私といったら、いつも結果を急いで、プロセスを踏まずに告白する→案の定、振るわない結果に。

そんな事をいつも繰り返していたんですね。改めて自分のバービー加減に引いてしまいます。

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私は今まで付き合うどころか、人の警戒を解く、「会話」という大事なプロセスを怠っていました。

だから!!今度こそは!!バービーから脱皮して、ちゃんと好きな人と話して、仲良くなって、そして付き合わなければいけません。

 

5月から、私は男子だらけの部活にマネージャーとして入部します。

 

先輩だいすき!っていう下心丸出しの私の入部を周りからはとても心配されています。

 

もれなく男子との話し方を忘れてしまって完全にシャイガールな私ですが、この恋に向かって日々精進して参りたいと思います。

 

いつか私のハジメちゃんを隅田川花火大会に連れていきたいと思っております。

 

ご精読ありがとうございました。

HAVE A ナイス10連休!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

深夜のひとりごと(延長戦)

大分ご無沙汰しちゃいました、稲村です。

無事高校も卒業してようやく本当の自由を手に入れた今日この頃の俺だ〜!!

 

卒業の実感が湧いていないどころの騒ぎではなく、悲しいことにまったく卒業が惜しくない。

JKブランドも特に惜しくない。強いて言うなら映画1000円で観れなくなるのやだな〜。

 

それでも卒業式は泣いてしまったんだけど、その事について弁解させて欲しい。

 

卒業式独特のムードあるじゃないですか。

「校歌歌うのも今日が最後なんだ、、、」

「最後のホームルーム、、、」

自分の中で勝手に「最後の○○」ゲームがプレーボールしちゃうわけです。なんか球技ってことになっちゃったけど。

だから私はまっっっっっったく卒業悲しくありませんでした。

もうひとつの理由は、自分が18年生きた事に感動したから。自分の中で、「やっぱりまだ自分は子供」って意識が強くて、例えば2012年なんて最近じゃーんって思うんですよね。でもそれはもう7年も前の話になるし、自分の人生と共に歩んできた平成ももう終わるんだと。

自分、未熟ながらも頑張って18年生きてきたんだなぁとしみじみ思うんです。

 

高校3年間は自分に自信が持てない3年間でした。

外見とか体裁とかばかり気にしちゃって、今までの自分は怖いもの知らずだったんだなって思った。周りにどう見られているか?それだけを考えて生きてた、だから行き詰まってしまった。

そういう考えを持つこと自体は勿論この先の人生において大事に決まってるんだけど、やりすぎは良くない。

もっと肩の荷を抜いて、フランクに生きれば楽しかったのかもしれないなって。

 

そんな三年間でした。

 

自分の容姿が良くなれば·····コミュ障が治れば·····いつか自分は楽しく生きれる!ってただひたすら信じてた気がする。

現状の自分には絶対満足できなくて、現状の自分が人生をエンジョイするのは到底不可能だと思ってた。

でもそれは逃げであって、だから、わたしは自分と向き合わなきゃいけない。

そして、いつか自分を好きになれたらいいなって思います。

 

しゃんと胸張ってがんばらんと!

 

なんか久々すぎて文章まとまんなかった。