2021/4/5

4/5

自分の大好きな相手にほど自分の嫌なところを見せられないなー、甘えられないなーとつくづく思う。

ということはつまり他人に甘えている自分を私は嫌いってわけだね。

その人のこと大好きだし、大好きな人の前では自分が嫌いな自分で居たくない。でもそれは大好きな人に素の自分を見せられないってことでもある。

なんて悲しい人間なの、、

恋人だったら見せられるんだろうか、私はそうとは思わない。

好きな人たちの前では綺麗でいたいなと思う、身も心も。

でも人間は自分の弱みを他人に見せて、初めて相手も弱みを見せてくれるもの。

面倒くさい私を、他者比較ばっかりでどう見られるかどう思われるかずっと考えてしまう私を、受け入れて貰える自信がわたしには無い。

きっと承認欲求が強いのね、自信が無いから他者からの承認を常に求めてる。

 


自分からは行けないから、どうしたの?って反応を待ってしまう、ああなんて面倒な奴。

 


もっと可愛げのあるトイプードルみたいな人間になりたいな。

 

案の定話がまとまらない!

日記21/2/9

私はいまちょっと長めの休暇に入っている。正確的には、謎のトリプルワークによって疲労困憊した体を労るweekを2週間弱作り出した。

とは言うものの、忙しすぎても病む、暇すぎても病むという面倒臭い体質の私なので、明後日あたりには病んで家の近くにある川がキラキラ光ってるのを見つめているかもしれない。

課題も終わり、バイトも無いが、このご時世、遊びに行くのも少し躊躇われる。

実はインドアじゃ無かったことに最近気付いた。一人でご飯を食べに行ったり、美容院に行ったり、服を見に行きたくてウズウズしている。何なら隣町のショッピングモールでも良い。商品陳列を眺めているだけで十分楽しい(ちょっと変態なのかもしれない)

皆さんは休みの日何をしますか?

私は家で時間を潰すのがどうしても出来ない。溜まってる録画を消費すること、Netflixでドラマをイッキ見すること。日中、これらの「サブ娯楽」で時間を潰すことに、どうも気が進まない。私にとってサブ娯楽はあくまでsubであり、結局subなのだ。何かの片手間にすること、例えば通学電車で観たり、キッチンに立ちながら観るもの。だからウズウズしてしまう。どのくらいウズウズするかと言うと、YouTubeにある作業用bgmを作業せずに2時間視聴し続けるくらい。そう、私にとってテレビは作業用bgmに近い。

無趣味な人間ほど暇な時間を潰そうとする時、いきなりハードルが高めのものに手を出しがちで、尚且つ続かないことが多い。

私が趣味にしてみたいベスト3。水彩画、編み物系、読書。ペン習字も実はやってみたい。

ユーキャンが取った統計?と思うほどにポピュラーかつ王道で我ながら恥ずかしいのだが、全部「趣味は〜です、休日はよく〜してます」と言えたらカッコいいと思う。水彩画なんて貴族のお遊びか、世田谷マダムの昼下がりの習い事だと思ってる。

そんなにやりたいなら描いてみりゃいいじゃん!と思うかもしれないが、義務教育レベルの水彩画の知識でいきなり趣味と言えるような作品が描けるのか?それはもはや絵の具遊びじゃないか?

何事も枠組みやレールを欲しがるタイプの私は、勿論ゲームも攻略サイトを見てしまうタイプ。

趣味って何?趣味のボーダーラインって?どこから趣味と呼んでいいのだろう。

休日にホットケーキミックスでお手軽蒸しパンを作っただけで、趣味は料理です、と言っていいのだろうか?趣味にレベルは問われるのか、

頭でっかちになりすぎない事が大切なのかもしれない。何事も、いかなるレベルでも、時間を埋めたものが勝者であり、多趣味マンになれるのかもしれない。

早速私は図書館で短編小説を3冊ほど借りた。今まで返却日までに読み終えたこともなければ、返せたことも無い。そんな欠陥人間でも、胸を張って「趣味は読書です!」と言えるように継続してみたい。

大丈夫、いつも借りるようなでっかくて分厚いあらすじが読めない小説とは訳が違う。今回はいける。

読み終えたら今度はグルメ小説でも借りてみようと思う。

日記 20/12/23

その日に思ったり抱いたりした大切な感情はいつでも振り返りできるように文章に残しておこうと思う。

大切なものっていつも欠かさず自分の近くにあるから、失くすまで大切さには気付けない。旅先で盗まれたiPhone、今まで何となく使ってた。ずっと欲しかったもので、買ってもらった当初はあんなに丁寧に使ってたのに!

あと友達。これは失くすような事が起こって欲しくはないけど、大切さに気付かず、適当に扱ってたら一人も居なくなっちゃうだろうな。

私はきっと、自分が思ってる以上に周りの友達に恵まれています。

いつまで経っても恋人はできないけど、いない事と天秤にかけられない位、素敵な友達が沢山います。

頭の片隅にでも、私という存在を置いてくれてありがとう。一秒でも、私と一緒に悩んでくれてありがとう、喜んでくれてありがとう。

この年の瀬にしみじみと友達の大切さを実感しています。赤の他人であるみんなが、こんなに私に良くしてくれるなんて、冷静に考えて奇跡なのです。

なんか大晦日ぽくなっちゃったな。クリスマス前なんだけどな。。

とりあえずみんな大好きってこと!

日記 20/10/6

また来てしまった、毎月来るどん底期。

身体の周期的なものだからしょうがない、

「しょうがない」を言い訳にしたら、きっと月の半分はムダにするだろう。

でも、こんな気分の時こそ書く手が進む。

ネガティブな私なりの、ポジティブな考え方。

気分が落ちてしまった時、何もかも頑張れなくなる、終わりがない単調な日々に耐えられなくなる。

休んでもまた働いて、卒業したら今度は就職して。いつ心からゆっくりできるんだろうか?

こんな日は家族やペットの悲しい結末までも考えてしまう。もうすぐ10歳になる愛犬。ばぁばこの間78歳になったって言ってたなぁ。

来て欲しい終わりと、来て欲しくない終わり。

 


決して平和とはいえない、この単調な日々はいつ終わるのだろう?終わった時気付くのだろう、この日々の本当の幸せに。

 


落ちた時は大体2パターン。すごく人と会いたくなるか、誰にも会いたくないか。

後者の時のがやばい。人に会いたいって気持ちは余裕が無いと起こらないからね。

学校に通ってたあの頃、後者になる事が多かった気がする。

周りに恵まれていることなんてわかってるのに。みんな優しい、こんな私の怠惰を許してくれる。なのに、どうしても誰にも会いたくなくて、心配されたいのか、突き放したいのか、もう分からない。

こっちが本当の私なのか、外の私が本当なのか?

稲村夏と、しょむ。同じとは思えないくらいびっくりする。でもしょむである私も作られたものじゃないと思うんだよなぁ。しょむでいたい時、しょむでいた方が楽になれる時もあったり。オンは疲れるけど、オフが続くと気が落ちる。私はオフの私が嫌いだから、考えてばかりの、面白くも何ともない自分が嫌い。オフの時の私の存在価値って?

日記 17/12-23

母方の祖父が危篤になった

 

今病院に向かってる

 

こんな時に書くなんて不謹慎極まりないかもしれないけど何かしてないと心が不安定になりそうだった

 

身近な人がこうなるのは叔母の旦那さんがくも膜下出血で急死した時以来だったから、

どんな心構えでいればいいのかわからない

 

血が繋がった人間が死ぬってどんな感じなんだろう

 

数分後に待ち構えてる死を私はどうやって受け入れるんだろう

 

今日本当は父方の祖父母と従妹の家でクリスマスパーティーをする予定だった

 

ごめん、今日行けなくなった。

 

そう伝えた時の祖父の声はあまりにも悲しそうで、泣いてしまった

 

きっと祖父は、祖母は、受験生の従妹は、今日を楽しみにしていたんだろうな。

 

 

弟と病院に駆けつけた時には祖父はもう亡くなっていた。

 

私たちの到着を待って主治医から祖父の臨終を告げられた

 

ついこの前入院した時からそうだったのかもしれないけど、祖父は真っ白な顔をしていた。

 

だから私は

それが祖父だとは思えなくて、ああ死体だ。って思った

不思議なことに、生きていた祖父といま目の前で死んでいる祖父は全くの別人に見えた。

 

祖父に触れてみるとまだ生暖かくて、死んでるのに生きてるようなのが少し気味悪かった。

 

私の中の祖父はまだ生きてて、

なっちゃんまた痩せたんじゃないか?」

って祖父の声はまだ鮮明に記憶に残ってる。

きっとこの鮮明度をあげたら涙が止まらないだろうなって思えて、私は感情をシャットアウトした。

 

この先周りの人間がこうやってどんどん死を遂げていくのを私は見ることになるのか

 

でも死は避けられない。

 

だから死の悲しみから逃れることも出来ない。

 

 

後日やってくる祖父の葬儀は たくさん泣いてやろう

この感情はシャットアウトしちゃいけないから。

 

ではメリークリスマス

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明け方の若者たち

こんにちは、ブログを書く周期がオリンピックさながらの稲村です。

 

皆さんところで《明け方の若者たち》という本を知っていますでしょうか?知らない貴方、さては最近YouTubeやネトフリばかりでTVを観ていないな?

 

私自身もっぱらテレビは後からTVerで観てしまうタイプの人間なのですが、たまたま観ていた王様のブランチで最近話題の小説ランキング〜みたいなのをたまたまやってて、たまたま目に入って。

読書習慣が無い者にとってはそれはそれはありがたい企画でした。ありがとうブランチ、ありがとうTBS。

テレビって基本的に常時点いてるものじゃないですか(家庭によるかもしれないけど)

だからわざわざ自発的に情報を探しに行かなくて済むのが利点だなって思います。YouTubeやインターネットで情報を獲得するためには検索ワードが必要ですよね。これってつまり自分のわからない事に対して、まず手掛かりになる言葉を考える必要がある。

億劫な私にとってはこの作業が苦痛でして、、

痒い所に手が届かないような気持ちに陥るんです。だからちょっと苦手。

ラジオやテレビ、Twitterとかみたいに垂れ流された情報から自分にとって興味があるものにフォーカスしていくってやり方が私的にはしっくり来るんですよねぇ、、、

 

バカ真面目にメディア論について語ってしまいました、失敬失敬。こんな事熱く語っても単位取れる訳じゃないのにね。

 

本題。なんで今日この本についてブログで書こうと思ったかというと、

「ああ、社会って、仕事ってこんなもんなのか」

学生の社会に対する不安を見事に体現した本なの!

 

まあテレビでは切ない恋愛模様にフォーカスして宣伝されてたんだけど、

実際読んだ感想としてはこっちが強かった。

 

(ちょっとだけネタバレ入るかも)

主人公は二番手くらいの大学に入って、大手の内定先も決まって、順風満帆。でもいざ入社したらやりたい事ができるような環境ではなくて、

「自分はこんなところで燻っていられない、

早く転職したい、動き出さないと。」

っていう思いが徐々に芽生えてくるんだけど、

働いているうちに自分が大したことない人間だったって気付く。周りとは違う、普通じゃないって思ってたのに、初めて打ちのめされてしまう。

 

共感しか無いんだよなぁ。。

私もそうだけど、皆絶対心のどこかで「自分と他の人は違う」って思ってる。

私には独創性があって、やりたい事もちゃんとある。だから他の能天気チャラチャラ大学生と一緒にすんな!

きっと誰しもがこう考えてるんだろうな。だからみんな早々とインターンシップに行くわけで。

それが打ち砕かれるのが社会人。結局他の人と自分はなんら変わらなかったって気付く。恐怖体験。

 

少し話は変わるんだけど、バイトでも常々似たようなことを考える。

自分はこのバイトに何パーセントの力を注ぐのが正解なんだろう?って。

60%注ごうが、100%注ごうが貰えるお給料は一緒。じゃあ自分は何パーセント出そうか?

100パー出せば社員やお客さんに褒められることは明確。でも時給が同じなのに100パーを出す必要なんてない。だから私はいつも及第点で業務をこなす。

心のどこかで「俺はまだ本気出してないだけ」って思ってる。本気を出せば優秀になれると。

 

これはバイトだから割り切れるけど、社会に出たら果たして今まで及第点でやってきた人間がいきなり100パーを出せるのか?

てか出世欲が無ければ100出せ精神すら無いのかも。

 

社会に出るって色々と考えさせられますよね。中学生の頃みたいに、社会に出る環境に居なかった時が一番ラクだったなぁ。

 

なんかまとまらないけど、色々と考えさせられる本なので是非読んでみて欲しいです!なんなら私の貸す!

 

 

 

 

 

 

 

誕生日ありがとうございました

皆さんこんにちは、というよりこんばんは。

 

6/14は私の誕生日!もう終わった?そんな事はいいのです、なんと言っても記念すべきハタチですからね。

 

まあ正直当人からしてみればこの一日差はまったく違う。6/13も6/15も私にとってはただの一日。誕生日当日に対する当人の固執ってなんなんでしょうね。

他人からしてみても、言ってしまえば親からしてみても、私の誕生日はただの一日に過ぎない。

 

今年はそれを強く実感する誕生日だったな。。。

 

これは私の勝手な意見なのですが、誕生日って自分がこの一年間何をしてきたか、結果発表の日だと思うんです。ああ、本当に勝手な意見。。

 

でも問われるのは祝われた量じゃなくて、メッセージにどれだけ気持ちを込めてもらえたか。

量より質なんじゃないでしょうか?言い方悪いかもしれないけど。

 

欲しいものを貰うことよりも、私の誕生日のために文章を考えてくれたり、写真を探してくれたり、プレゼントを探してくれたり。私のためにわざわざ割いてくれた時間にこそ価値があると私は思うんです。

 

激重彼女か、、、?

 

今年の誕生日は自粛期間なのもあいまって変に孤独を感じた一日でした。

地球は私中心に回っている訳じゃないのに。

他の人にとっては、ただの、雨が降ってジメジメした、気温18度の日曜日。

 

それは当たり前の事なのに、私はどうも寂しく感じてしまう。

誕生日はケーキと一緒に盛大に!っていう考えが私たちには酷くこびり付いてて。

だから、きっと何歳の誕生日も、誰かに祝われることを期待してしまうんだと思います。

実は、この日記を書いている今、変に抱いてた期待から解放されてスッキリしてたり。

 

小学生の頃は家族とケーキを食べて、誕生日プレゼントに死ぬほど喜んでいたのになぁ。

 

歳をとるっていうのはこういう事なのかな。

 

20歳って小学生の頃の私からしてみればとても遠く眩しく感じていたのに、実際はこんなもんなのね。

 

20歳は案外子供で、心の成長は中学2年生から大して進んでないよ。まだ準備なんて出来てない。

 

なんとなくお酒を飲み始めるようになって、なんとなく就活が始まって、働いて、気がついたら今度は30歳になってるかも。

 

その時には何人の人が私に「おめでとう!」って言ってくれるんだろう。

昨日私の誕生日を祝ってくれた友達から、来年も再来年も、「おめでとう、ありがとう」の言葉が貰えるように、今日からの一年間また頑張らないと。

 

では、一期一会より一言。

 

「むずかしいコトは言えないケド、

これからもずっと一緒にいて欲しいって

それだけなんだよ」

 

なつを。